テレビゲームあれこれ日記

ネット時代の“サウンドノベル”

 去る7月27日に発売されたプレイステーション2(PS2)用ソフト『かまいたちの夜×3(トリプル)』。ご存知チュンソフト社の代表作“サウンドノベル”シリーズの最新作にして、『かまいたちの夜』シリーズ完結編となる今作。

 僕はまだ買っていないのですが、いずれはプレイするつもりでいます。今回購入を見送った最大の原因は、何のことはないただの金欠です。しかし――。単にそれだけの話なのかと言うと、これがそうとも言い切れない部分があります。

“サウンドノベル”はその名の通り、リアルな音響と映像、入り組んだストーリー、そして、いくらでも湧いて出てくるかのような小説的テキストの圧倒的なボリュームを楽しむという、言わばコンピュータを使った“魔法のゲームブック”です。

 昔はこの、“文章がいくらでも湧き出してくるような感覚”が非常に新鮮で楽しかったのですが、今や、その種の楽しさはインターネットの掲示板などを閲覧すればいくらでも享受できてしまう。ネット上のコンテンツは多くの人間が随時更新を繰り返し、それこそ文章が“無限”に湧いて出てくるのですから、いくら膨大とは言え、しょせんは量の限られたパッケージソフトが太刀打ちできるわけがありません(量に関しての話ね)。

「“サウンドノベル”にはストーリー性があるじゃないか!」というご意見も当然あると思います。これはまさにその通りで、“サウンドノベル”は今後、テキストやストーリー方面の質を相当高めていかないと、生き残ることは難しいでしょう。従来の“サウンドノベル”は、やはりどうしても質よりも量に頼っていたところがあり、ユーザーにしても「インタラクティブ性があるんだから別にいいじゃん」と、それを大目に見ていたフシがありました。でも“サウンドノベル”において、文章の量だけでユーザーが驚く時代はもう終わったと思うのです。

 ただ、このハードルをクリアするのは容易なことではないでしょうね。なぜなら、こればっかりはテキストの書き手個人の資質・才能の問題になってきてしまいますから、ソフト会社のデジタルな技術力が高いだけではどうしようもない。

 もうひとつ厄介なのは、いいストーリーを作れる人間が、ゲーム制作に向いているとは限らないところ。どんなに素晴らしいアイデアでも、実現不可能なものばかりを提出してスタッフと揉めてしまうような大先生では困ってしまうし、せっかくゲーム制作に理解があっても、書くものに魅力がないのでは意味がありません。それに、第一線で活躍中の小説家などは本業が忙しいからなのか、ゲーム制作にまではなかなか踏み込んで来ない。
 となると“サウンドノベル”の書き手というのは、現状、そのいずれのポジションにも偏らないギリギリの条件下で、妥協して選定せざるを得ない、という事情は当然あると思います。ゆえに、真の意味で大人の鑑賞に堪え得るものが非常に生まれにくいんですね。

 僕は以前、普段とてもゲームで遊ばないような不良中年風のおっかない上司に、「俺でも遊べそうなゲームってない?」と聞かれたことがあります。僕がその時とりあえず思い浮かべたのは、やはり“サウンドノベル”などのアドベンチャー系のゲームでした。

 が、ゲーム初心者であるその不良中年が例えば『街』のはっちゃけたノリについていけるかどうか悩んでしまったし、『神宮寺三郎』の借り物ハードボイルドに果たして感動移入などできるものだろうか、と訝ったりもしました。

 その上司の個人的な好みはともかくとしても、身近な大人に対して、薦める側が自信を持って「これだ!」と薦められるゲームがほとんど見当たらなかったことに僕は密かに愕然としたものです。「ゲームって、やっぱり大人を相手にしてはいないんだなあ……」ということを痛感させられた瞬間でもありましたね。

 と、話が長くなってしまいましたが、ここでいきなり結論に移ります。『かまいたち×3』は廉価版が出たら絶対に買います(涙)。
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by atom211974-3 | 2006-07-29 23:02
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