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テレビゲームあれこれ日記

ゲームの“イメージの悪さ”をどう捉えるか

 任天堂の携帯ゲーム機“ニンテンドーDS”の予想外の(?)大ヒットにより、久々に脚光を浴びているゲーム業界。僕もコアゲーマーの一人として、自分と共通の話題を持ち得る人間がどんどん増えてくれている現状は嬉しい限りです。

 しかし、そこでふと思ったのですが――。
 ゲームというジャンルは、これだけ隆盛を極めておきながら今なお社会に根づいているとは言いがたい面がありますよね。履歴書の趣味の欄に躊躇なく“ゲーム”と書ける人なんて、決して多くはないと思われます。これって、なぜなのでしょうか?

“ゲームに熱中すると、現実と虚構の違いを区別できなくなる”といった類の偏見は未だに根強いものがありますし、日本経団連会長(当時)の奥田碩が「ゲームの残虐表現が、ニートなど社会不適応者増加の一因になっている」などと発言して物議を醸したのも記憶に新しい。
 日本の資本社会のトップがその程度の認識しか持ち合わせておらぬとは甚だ嘆かわしい限りですが、逆に言えば、ゲームなど所詮はその程度のものだ、とも言えます(別に、ゲーマーがゲームを楽しむのに社会のお墨付きなど必要ないのですけどね)。

 ただ、ゲームに限らずバーチャルな遊びというのは、基本的には何のリスクもなしに“喜び”を得ることができてしまいます。例えば本や映画、旅行など非バーチャルな娯楽の場合は、多かれ少なかれお客さんの人間的な力量(知識や経験など)が試されるといった面がありますが、ゲームにはそれがない。失敗して赤っ恥をかく、という人間的(社会的)なリスクが全くない。

 スポーツの試合でもビジネスの世界でも何でもそうですが、リスクを冒さずに(つまり、試されずに)得た成功というのは、基本的に世の中では歓迎されない方向にあります。ちょっと話が飛躍するようですが、これは自然界の摂理がギブ&テイクを基礎に成り立っていることと無関係ではないと思います。まさに、虎穴に入らずんば虎子を得ず。代償を払わずして喜びが得られるシステムというのは明らかに“不自然”なわけです。この“不自然さ”こそがゲームの弱点の正体ではないか、と僕は思うのです。

 僕はゲームが大好きだし今後もやめる気は全くありません。けれどもゲーマーの端くれとして、ゲームから得られる“喜び”がどのような性質のものであるのかくらいは、常に冷静に受け止めながら遊んでいきたい、と考える次第。
 よーするに「ゲームじゃモテないよね」という話です。ガハハハ。

by atom211974-3 | 2006-06-15 10:17
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